たい月か月くらいで病気になったり小中学の頃はあまり思い出ないし、高校はがむしゃらすぎて記憶ないしやっと専門くらいから殻を破った私としては遅咲きになりますがこれからが楽しみ時です歩惟との出会いは大きかったねぇ。征吾の私物はきちんときれいに保存してありますアユにはオシャレというものを教えてもらいましたゆかさんが居なかったら私はここまでの腐にはなれなかったでしょう今や時代に知り合ってマイミクは梨央さんだけですさるぴんさんの最強様へのお慕いの念は私に多大なる影響を与えて下さいましたそしてトンペンさんにはこれからもお世話になりますとりあえず、やけ食いやめます仕事を頑張ります遊びも頑張りますあと登録販売者
今朝は、蒸し暑く目が覚める。まだ6時だ。もう一度寝ようかとも思ったが暑いて、そんな感じではない。ベッドに転がって本を読む。私の悪い癖なのだが簡単な小説なら良いが専門書でも辞書を横において調べながら寝ころんで読むという非常に怠惰な部分がある。そして時間を待ち朝食の準備をしてゲゲゲの女房を見ながら珈琲を飲む。今朝のゲゲゲの女房で水木先生は予期してたがやはり宇宙物を断る。思わず鬼太郎がウルトラシリーズの様に下駄や髪の毛針、ちゃんちゃんこで宇宙人を、無理だな通じるのは体内電池くらいだろう。小さい頃に見たり読んだゲゲゲの鬼太郎シリーズを思い出し変な想像をする。現実問題、苦手な宇宙物で失敗すればもうチャンスはこない。連載でなく別冊の読みきりですから本当に一作だけで評価されてしまい仕事は来なくなっただろう。水木先生の信念勝ちという感じだ。それにしても、まだ貧乏神が不得意分野で全力を出せないまま一生書いていくのは無理だ。それでも少年ランド、マガジンの編集者、豊川さん、まだ水木先生の評価が高く、ゲゲゲの鬼太郎が墓場の鬼太郎として最初にマガジンに世に出たのは、こうした見る目のある編集者がいたからだろう。頑なに信念を曲げない芸術家と発掘する目をもった編集者。こういう人達がいた時代があって漫画を華を開いていったのだろう。今の漫画ひゃ何かが流行ると作家も編集者も飛びつく。落ちたのは政治家だけではない。マスコミも様々な分野で昭和年代から年代より世の中の質が落ちてしまったのかもしれない。WCではないが思わず頑張れ日本と言いたくなる。昨日の阪神―横浜戦は劇的な試合だった。阪神は同点に追いついた8回、アニキの代走、上本が盗塁しようとした時に、相手捕手の悪送球を誘い、一塁から一気に生還して横浜に逆転勝ち。その前に3塁ランナーの大和は代打アニキのボテボテの一ゴロでスタート。同点に追いついている。走る阪神、起動力の阪神を思い出した。首位巨人に15ゲーム差に迫った。赤星のいた頃の阪神を思い出す。新井が初回、三浦から、右中間を破るタイムリー2塁打を放った。さらに3点ビハインドで迎えた3回には、二、三塁の好機で直球を1点差に追い付く2点タイムリー2塁打。新井には珍しい。マートンは初回の中越えの先制二塁打を皮切りに、3打席連続で二塁打。凄い記録だが、こちらは珍しくなくなった。首位打者は当然キープ。このままだと本超えどころかイチローの本を本当に抜けるかもしれない。昨日は北条氏政の事を書き、前は今川義元の評価を書いた。私の中で大河か小説で関東三国志を見てみたい願望の表れだがそれで今日も北条氏政の事を続けたい。越相同盟を見限り、再び武田と同盟を結ぶようにという北条氏康の遺言に従った北条氏政は、弟上杉景虎を切り捨てるかたちで越相同盟を破棄し、武田信玄との間に甲相同盟を復活させた。この辺は天地人で描いていたから周知の事かもしれない。同時に、武田側より庇護していた今川氏真を始末して欲しいという願いもあったが小田原を脱出した今川氏真は、徳川家康を頼り危機一髪助かっている。上杉謙信の関東出兵が復活し、上野への攻めてくると、対陣した北条氏政は、結城晴朝を味方につけることで有利な状況をつくり、佐竹義重の軍勢に勝利して、上杉謙信を追い返している。その後、武田信玄が没して武田勝頼の代になると、武田勝頼は北条氏政の妹を娶って、甲相同盟を強化した。後は謙信死後、「御館の乱」が越後の内紛として起きる。当初は、上杉景虎が優勢だったが、上杉景勝が優勢になると、上杉景虎は兄北条氏政に救援を依頼し、それに応えた北条氏政は、武田勝頼に援軍を依頼した。しかし武田勝頼は、すでに上杉景勝より多量の金品をもらいうけて同盟を結んでいた為、援軍を送らず、北条氏政は、怒って甲相同盟を破棄し、兄弟の中でも武勇の誉れの高い北条氏照と北条氏邦の二人を、上杉景虎の援軍に向かわせるも間に合わず、上杉景虎は自害して果てた。この辺は良く御存知だろうと思う。眉毛遠山はそんなに関係ない。織田信長が武田勝頼を滅ぼし滝川一益を管領に任命して関東に送りこんでくると、北条氏政は、滝川一益と戦いながら、織田家の外部勢力として関東を分国化する方策を示し織田信長の元で生き残らんとしたが、交渉がはかどらなかったが、織田信長が本能寺の変で死ぬ。勢力拡大を優先して、真田昌幸らを引きこんで滝川一益を攻略し、総崩れとなった滝川一益は関東から撤退し、永年上杉謙信らと争った地上野地方を手に入れた。傀儡としていた古河公方足利義氏が死ぬと、その権力を掌握して関東における第一位の身分を手に入れた北条氏政は、利根川と常陸川の流通を掌握して、関東の国人や豪族に、後北条氏に従うか否かの選択を強い、那須氏と組んで下野の南半分を手に入れ勢力を拡大した。相模、伊豆、武蔵下総、上総、上野、下野、駿河を手に入れ北条氏最大の領土を得ている。日本は兎も角、世界の歴史学で一番優れた領主とは最も勢力を手に入れた人というのが常識だ。日本はわからないから異論があるかもしれないが、その後の秀吉の小田原攻めで滅んだ為にいかに不当な評価を受けているかわかると思う。昨日から龍馬伝で河田小龍について書いているが小龍は龍馬に、「日本と外国では商売の優劣や戦いの勝敗を決める海軍力に雲泥の違いがある。いくら攘夷と息巻いても、日本の今の力では彼らの海軍力を負かすことは到底不可能だし、かといって外国の要求に応じて開国したとしても、すっかり占領されてしまわないように攘夷に備えておくことも必要である。何としてでも渡航船を調達して、志のある船員を養成し航海術を習得させなければならない」と熱く説いている。これを聞いた坂本龍馬はとても感動して「わかりました、その船は私が調達しましょう」と河田小龍に約束し坂本龍馬はこの河田小龍によって、海に目を向けていく。小龍は龍馬に、アメリカへ渡ったある人物の話を聞かせます。それが、ジョン万次郎でした。小龍は龍馬に、万次郎がアメリカで体験したという文化や民主主義を教え、「尊王攘夷にばかりこだわっていても、外国に追いつくことはできない。」と伝えるのです。これを聞いた龍馬は、かたくなな尊王攘夷から海の向こうへと、次第に大きく夢を膨らませることとなる小龍は龍馬死後、維新後も意欲が消えることなく、その技術を生かして、反射炉の施設の図面を書いたり、大砲鋳造の際の図面を書いたり、高知の市街地図を書いたりと、幕末から明治にかけて、新しい仕事にもどんどんチャレンジし、明治三十一年(年)月日、歳で亡くなるその日まで、意欲的に活躍し続けた。こうした魅力ある人物達との出会いによって龍馬の人物像は形成されていく。明日の龍馬伝を楽しみにしよう。今日はもう一回、阪神が勝てば日記を書く予定だが、負けても遅くに、まっつぐ鎌倉河岸捕り物控の感想を書きたい。